Tuesday, October 28, 2025
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フリーランス保護新法の違反事例をおさらい



「知らなかった」では済まされない新常識——フリーランス保護新法の核心と企業が直面するリスク

2024年11月、フリーランスとして働く人々を不当な取引から守ることを目的とした「フリーランス・事業者間取引適正化等法」、通称「フリーランス保護新法」が施行されました。この法律が生まれた背景には、働き方の多様化に伴いフリーランス人口が増加する一方で、発注者との力関係の不均衡から、報酬の未払いや一方的な契約内容の変更、曖昧な指示といったトラブルが後を絶たなかったという社会的な課題があります。個人の専門スキルを活かして柔軟に働くフリーランスは、もはや日本経済にとって不可欠な存在であり、彼らが安心して能力を発揮できる環境を整備することは、企業側にとっても優秀な人材を確保し、持続的な成長を遂げるための重要な経営基盤となります。

この新法が企業に課す義務は、大きく分けて「取引の適正化」と「就業環境の整備」という二つの柱から成り立っています。まず「取引の適正化」の側面では、企業がフリーランスに業務を委託する際、これまで曖昧にされがちだった取引条件を、書面またはメールなどの電磁的方法によって、直ちに明示することが厳格に義務付けられました。具体的には、業務の具体的な内容、報酬の額、そして支払いの期日といった、取引の根幹をなす情報を明確に示さなければなりません。さらに、一度合意した報酬を後から一方的に減額することや、納品された成果物の受け取りを不当に拒否することも固く禁じられています。報酬の支払期日についても、原則として給付を受領した日から60日以内のできる限り短い期間で支払期日を定め、その期日までに支払いを完了させることが求められます。これらの規定は、公正取引委員会と中小企業庁が所管しており、違反が疑われる場合には厳しい目が向けられることになります。

もう一方の柱である「就業環境の整備」は、厚生労働省の管轄となり、フリーランスが安心して業務に集中できる環境作りを目指すものです。これには、発注者側によるハラスメント行為の防止措置や、育児や介護との両立への配慮などが含まれます。フリーランスは労働者ではありませんが、業務を発注する企業との関係性においては、ハラスメントなどの被害に遭いやすい弱い立場に置かれることがあるため、企業側にも相談体制の整備といった配慮が求められるのです。

法律に違反した疑いがある場合、行政による対応は段階的に進められます。最初は助言や指導といった比較的穏当な形から始まりますが、改善が見られない場合には、より重い措置である「勧告」が出されます。この「勧告」は、法律上の「公表」規定自体は命令に紐づくものですが、実務として勧告の段階から公正取引委員会が社名入りのプレスリリースを出すため、企業の社会的信用やブランドイメージに深刻なダメージを与えかねません。さらに勧告に従わない場合は「命令」が出され、最終的には罰金が科される可能性もあります。2025年に入り、実際に複数の大手企業がこの「勧告」を受け、その事実が広く報道されたことは、多くの企業にとって、この法律がもはや対岸の火事ではなく、自社の問題として捉えるべき喫緊の課題であることを強く印象付けました。公正取引委員会は、企業が自主的に違反状態を是正し、フリーランスが受けた不利益を回復する措置を講じた場合には、勧告に至らない運用も示していますが、それは裏を返せば、問題が発覚した際に迅速かつ誠実な対応が取れるかどうか、企業のコンプライアンス体制そのものが問われていることを意味しています。

出版、音楽、放送業界を揺るがした勧告・指導事例——「口頭の慣行」と「無償の奉仕」に潜む法的リスク

2025年、フリーランス保護新法は、これまで業界の慣行として見過ごされてきた取引慣習に鋭くメスを入れました。その象徴的な事例が、出版業界で相次いだ大手出版社への勧告です。同年6月、公正取引委員会は小学館と光文社に対し、ライターやカメラマン、イラストレーターといったフリーランスとの取引において、新法が定める義務を怠っていたとして勧告を行いました。指摘された問題の核心は二つあります。一つは、業務を委託した際に、その内容や報酬額、支払期日といった重要事項を書面やメール等で直ちに明示していなかった「明示義務違反」。もう一つは、報酬の支払期日を明確に定めず、支払いが遅延していた「報酬支払義務違反」です。

出版やメディアの制作現場では、企画の流動性やスピード感を理由に、正式な契約書を交わす前に「とりあえずお願い」といった形で口頭で仕事が依頼され、報酬も「だいたいこのくらい」という目安で進められる慣行が根強く残っていました。しかし、新法下では、このような曖-昧な取引は明確な法律違反となります。重要なのは、単に契約書があるかないかという形式的な問題ではありません。「業務を委託したその時点で、直ちに」条件を明示し、その記録を残すというプロセスが不可欠なのです。もし途中で業務内容に変更や追加が生じた場合にも、その都度、変更内容を記録し、双方で確認し合う運用への転換が求められます。この一連の勧告は、長年の業界慣行が、もはや法令不適合のリスクを内包していることを浮き彫りにしました。

大手楽器店である島村楽器へのケースも見過ごせません。このケースでは、前述の明示義務違反や支払遅延に加え、音楽教室の講師を務めるフリーランスに対し、「無料体験レッスン」を無償で行わせていた点が問題視されました。企業側からすれば、無料体験レッスンは新規顧客を獲得するための販促活動の一環という認識だったかもしれません。しかし、法律の観点から見れば、講師は実際に稼働し、専門的なスキルという「給付」を提供しています。その労働に対して対価が支払われないのであれば、それは発注者側が負担すべき集客コストを、弱い立場のフリーランスに不当に転嫁していると見なされる可能性があります。公正取引委員会は、過去に無償で行われた体験レッスン相当額の支払いを求めるとともに、取締役会での決議による遵法体制の確立や全社的な研修の実施といった、組織全体の抜本的な改革を伴う是正措置を講ずるよう勧告しました。この事例は、体験業務やテスト制作といった、これまで報酬の有無が曖昧にされがちだったグレーゾーンの業務について、企業がその対価性を真剣に検討し、契約段階で明確に定義づける必要性を示しています。

さらに、放送番組の制作を手がける九州東通への勧告も、制作業界に大きな警鐘を鳴らしました。映像制作の現場は、急なスケジュール変更や追加の撮影依頼が日常茶飯事であり、柔軟な対応が求められます。しかし、そうした現場の特性を理由に、条件の明示や期日通りの支払いを後回しにすることは許されません。「現場が回りやすくなるから」という内向きの論理で旧来の慣行を続けることは、企業名公表という現実的なリスクを招くことになります。これらの事例は、特定の業界に限った話ではなく、フリーランスとの取引があるすべての企業にとって、自社の運用方法を根本から見直すきっかけとなるべきものです。

「書く・決める・払う」の徹底を——未来の協業を守るための実践的コンプライアンス体制構築

2025年に公表された一連の指導や勧告から、企業が今すぐ取り組むべき実務対応の要諦が見えてきます。それは、「書く(明示する)」「決める(期日を定める)」「払う(期日を守る)」という三つの基本動作を、一つたりとも欠かすことなく、すべての取引において徹底するという、極めてシンプルな原則です。これは単なる法令遵守のための後ろ向きな対応ではありません。むしろ、フリーランスという重要なビジネスパートナーからの信頼を勝ち取り、創造的で持続可能な協業関係を築くための、積極的な経営戦略と捉えるべきです。

第一に、「書く(明示する)」ことの徹底です。フリーランスに仕事を依頼する、その瞬間に、業務内容、報酬額、支払期日を記載した発注書や、それらの情報を含むメール、ビジネスチャットのメッセージなどを送付し、相手方の合意を得るプロセスを社内の正式なルールとして定着させなければなりません。口頭での依頼は、たとえ長年の付き合いがある相手であっても原則として廃止し、すべての取引を可視化・記録化する文化を醸成することが重要です。特に、業務の範囲が曖昧になりがちなクリエイティブ系の業務やコンサルティング業務などでは、成果物の定義や修正回数の上限、検収の基準などを事前に細かく定めておくことが、後のトラブルを未然に防ぐ鍵となります。

第二に、「決める(期日を定める)」ことの重要性です。報酬の支払期日は、フリーランスの生活や事業経営に直結する生命線です。支払期日を事前に明確に定めることは、彼らにとって資金繰りの予見可能性を高め、安心して業務に専念できる環境を提供することにつながります。新法が定める「60日以内」という期間はあくまで上限であり、可能であればより短いサイトで支払いサイクルを管理することが、パートナーとしての信頼を高める上で有効です。経理部門と事業部門が密に連携し、請求書の処理から支払いまでのプロセスに滞りがないか、定期的にチェックする仕組みを構築することも不可欠です。

そして第三に、「払う(期日を守る)」という、取引における最も基本的な約束を確実に履行することです。定められた期日通りに報酬を支払うことは、企業の誠実さを示す何よりの証となります。また、前述の島村楽器の事例が示すように、体験業務やトライアル、コンペへの参加といった、これまで無償が慣例化していた業務についても、その内容がフリーランスの専門的な労働を伴うものであれば、相応の対価を支払うことを前提に契約設計を見直すべきです。無償での協力を求める場合でも、それが不当な利益提供の要請に当たらないか、法務部門などと連携して慎重に検討する必要があります。

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