
市場の爆発的成長を牽引する二つのエンジン:モバイルとCTV
インドの広告費における「デジタル広告の比率」は、定義による差は存在するものの、主要なレポートでは2024年から2025年にかけて、デジタル広告の比率は40percent台半ばから後半で推移するという見方が主流であり、今後の成長の主戦場がデジタルにあるという点で完全に一致している。
この力強い成長を需要側から牽引しているのは、大きく分けて二つの巨大なエンジンである。第一のエンジンは、インドが「世界最大級のモバイル先進国」であるという事実だ。スマートフォンの普及と安価なデータ通信料を背景に、国民の生活はモバイルデバイスを中心に営まれている。一時期の停滞からアプリ経済が回復基調に乗ったことで、広告主による新規ユーザー獲得(UA)や、既存ユーザーの利用を促すリエンゲージメントへの投資意欲が再び高まっている。このモバイルファーストの消費行動が、広告市場の根底を支える巨大なボリュームを生み出しているのだ。
そして第二のエンジンが、近年目覚ましい勢いで普及が進む「大画面化」の潮流、すなわちコネクテッドTV(CTV)である。OTT(Over-The-Prime)サービスの視聴者規模について、Ormax社は2025年の調査でインド国内で約6億人に達したと推計している。一方で、CTVのユーザー規模については、Kantar社などの別ソースの調査において約1億2920万人(前年比87percent増)に達したと報じられており、その急速な拡大がうかがえる。このCTVへの視聴者移行と広告費流入の起爆剤となったのが、国民的スポーツであるクリケットのプロリーグ「インディアン・プレミアリーグ(IPL)」だ。熱狂的なファンが支えるスポーツコンテンツが、リビングルームの大画面に広告主を呼び込む強力な磁石となっている。
マクロ経済の視点で見ても、その将来性は極めて明るい。Bain & Companyの2025年のレポートでは、2024年から2029年にかけてインドのデジタル広告市場は年平均成長率(CAGR)15percentで拡大を続けると予測されている。広告費が国内総生産(GDP)に占める割合も、現在の0.4percentから2029年には約0.5percentへ上昇する見込みだ。この背景には、旺盛な個人消費、インターネット普及率のさらなる向上、CTVの家庭への浸透、そして企業によるAI活用の本格化といった複数の要因が複合的に作用し、市場全体を押し上げる好循環が生まれている。
新時代の覇権争い:巨大テック企業とインド発プラットフォーム、そして第三極リテールメディア
インドのデジタル広告エコシステムは、長らくグローバルな巨大テック企業がその中心に君臨してきた。特に、検索広告におけるGoogleと、ソーシャルメディア広告におけるMeta(Fb, Instagram)の存在感は依然として絶大であり、多くの広告主にとって集客の根幹を担うプラットフォームであることに変わりはない。しかし、その牙城に風穴を開けようと、インド国内で生まれたローカルプラットフォーム群が急速にその勢力を拡大し、市場の勢力図は複雑な様相を呈し始めている。
動画ストリーミングの領域では、ディズニーと国内最大のコングロマリットであるリライアンス・インダストリーズの事業統合が大きな転換点となった。複数の報道によれば、この統合によって誕生した新体制は、広範な無料提供をテコにユーザーベースを拡大してきた戦略から、無料視聴を一定の条件で残しつつサブスクリプションを併用するハイブリッドモデルへと大きく舵を切った。これは、広告商品の高度化と、特に単価の高いCTVにおける収益性の向上を狙った動きだ。さらに、JioCinemaがニューロサイエンス調査会社(Neurons等)を用いた効果検証を公表し、中小規模の広告主に対しても科学的根拠に基づいた費用対効果の高い広告ソリューションを提案するなど、独自の差別化戦略によって広告主の裾野を広げようとしている。
モバイル広告やプログラマティック広告の分野では、インド発のInMobiやAffleといった企業が、継続的な機能拡張とM&Aによって着実に業績を伸ばし続けている。特にInMobiは、自社のDSP(広告主向けプラットフォーム)の頭脳としてAIレイヤー「Helix」を統合し、認知から購買まで、ファネル全体の最適化を実現するソリューションを掲げ、グローバルな競争力を高めている。また、アプリの計測・最適化ツールを提供するAppsFlyerのような計測系プレイヤーも、アジア市場全体の成長の波に乗り、その重要性を増している。
そして今、検索とソーシャルという二大巨頭に続く「第三の柱」として、リテールメディアが驚異的なスピードでその存在感を確立しつつある。これは、小売企業のECサイトやアプリが持つ広告枠と、そこに蓄積された膨大な購買データを直接結びつける広告手法だ。Amazon Adsや、インド最大のECプラットフォームであるFlipkartのFlipkart Adsは、顧客が何に興味を持ち、実際に何を購入したかという強力なデータを武器に、「広告接触から購買まで」を同一プラットフォーム内で計測できるクローズドループ計測を提供。EC事業の成長と歩調を合わせるように、広告売上も加速度的に拡大させている。2025会計年度には、Amazon、Flipkart、Myntraの広告収入合計が約1,557.3億ルピー(₹15,573 crore、約18~19億米ドル)に達したとの報道もあり、その勢いはとどまるところを知らない。この潮流を裏付けるように、GroupMは、2024年時点でリテールメディアがデジタル広告の約22percentを占めており、今後30percent程度まで上昇しうると見積もっており、第三極としての地位を確固たるものにしつつある。
このリテールメディアの競争に、国内最大の通信・小売・コンテンツ企業グループであるJioが「JioAds」を前面に押し出して本格参入したことで、市場はさらに活性化している。Jioは、自社が抱える通信キャリアのユーザーベース、広範な小売ネットワーク、そして豊富なコンテンツを束ねることで、モバイルとCTVを横断するクロスプラットフォームでの広告配信ソリューションを提供する。これは、グローバルなプラットフォームに対する、インドならではの強力な対抗軸として台頭しており、今後の市場の覇権を占う上で極めて重要なプレイヤーとなっている。
デジタル新時代の航海術:プライバシー規制とポストクッキー時代の実践的アプローチ
インドのアドテック市場がダイナミックな成長を遂げる一方で、企業は法規制やプライバシー保護といった、より繊細かつ複雑な課題への対応を迫られている。この新しいデジタル時代の航海において、羅針盤となるのが、2023年に成立した「デジタル個人データ保護法(DPDP法)」である。この法律は、インドにおけるデータ保護の基本的な枠組みを定めるものであり、2025年1月に公表された規則の草案では、企業が遵守すべき具体的な手続きが示された。これには、ユーザーへの通知と明確な同意の取得、データ漏えい時の報告義務、そして適切なデータセキュリティ対策の実施などが含まれる。特に注目すべきは、ユーザーの同意を管理するための「コンセント・マネージャー」という仕組みの導入であり、登録・監査等の厳格な義務が草案で具体化されるなど、受託者としての要件が厳格化される方向性が示唆されている。データの国外移転に関しては、原則として自由としつつも、政府が特定の国への移転のみを禁止する「ネガティブ・リスト方式」が想定されており、ビジネス上の柔軟性は確保されつつも、政府の裁量に常に留意する必要がある。
プラットフォームのUI/UX設計においては、「ダークパターン」に関する規制が実務に直接的な影響を及ぼす。所管官庁である中央消費者保護局(CCPA)は、2023年に公表したガイドラインで、ユーザーを欺いたり、意図しない行動を誘発したりする13類型のダークパターンを明確に禁止した。これには、「偽の希少性を煽る表示(例:残りわずか!)」、「ユーザーに気付karenaiyouni有料サービスに加入させる行為」、「意図せず商品をバスケットに追加させるデザイン」などが含まれる。2025年には、主要なEC事業者に対して3ヶ月以内の自主監査を要請するなど、当局による法執行はますます強化されており、広告のランディングページやアプリのUI設計において、これらのダークパターンを排除することは、法的なリスクを回避する上で不可欠となっている。
インフルエンサーマーケティングの領域でも、透明性の確保がより一層厳しく求められている。インド広告基準評議会(ASCI)は、特に金融商品やヘルスケアといった消費者のリスクが高い分野において、広告であることを示す明確なラベル表示を義務付けている。SNS上の有料投稿については、「広告」「Sponsored」といった文言で、それが商業的な投稿であることを消費者が一目で理解できるように区別することが、インフルセンサーだけでなく、彼らを起用するメディア企業やクリエイターエージェンシーにも求められている。
最後に、長らくデジタル広告の根幹を支えてきたサードパーティークッキーを巡る環境も、大きな転換点を迎えている。Googleは、当初計画していたChromeブラウザにおけるサードパーティークッキーの段階的廃止を撤回し、ユーザー選択とプライバシー保護機能(Monitoring ProtectionやIP Protection等)の強化へと方針転換したことを公表した。これは、インド市場においても「完全なクッキーレス時代への即時移行」ではなく、過渡期が続くことを意味する。したがって、これからの広告運用においては、自社で収集・管理するファーストパーティデータの拡充、ログインIDをベースにしたターゲティング、閲覧しているコンテンツ内容に基づくコンテクスチュアル広告、複数の企業が安全にデータを共有・分析するデータクリーンルーム、そして広告効果を統計的に分析するマーケティング・ミックス・モデリング(MMM)といった多様な手法を組み合わせた、ハイブリッドなアプローチが現実的な解決策となるだろう。
