
大阪万博で来日したペナンの首席大臣
2900万人以上が来場した大阪・関西万博。その東ゲート近くでひと際目を引くのが、マレーシアの伝統織物「ソンケット」を模した竹のファサードに包まれた幻想的な建築物──「調和の未来を紡ぐ」をテーマに、建築家・隈研吾氏が設計したマレーシア館である。
このパビリオンでは、9月22日から24日にかけて、ペナン開発公社(PDC)による「ペナンウィーク」が開催された。期間中、ペナン州の都市戦略や産業開発プロジェクトが集中的に紹介され、来場者に向けて同州の未来像が提示された。
ペナンはマレーシアで2番目に小さな州ながら、国家のデジタル戦略において中核的な役割を担う“東洋のシリコンバレー”と呼ばれる都市である。半導体産業の集積地としての競争力に加え、医療・物流・グリーン産業など多分野にわたる開発が進行中であり、ASEANの未来都市構想を象徴する存在となっている。
最終日にマレーシア館前で登壇したペナン州のチョウ・コン・ヨウ首席大臣は、ペナンの将来像について次のように語った。
「大阪・関西万博は、ペナンの革新性と競争力を世界に示す絶好の舞台です。これらのプロジェクトを通じ、私たちは強靭で未来志向の経済を築き、テクノロジー・サステナビリティ・投資の世界的拠点としての役割をさらに高めてまいります」
1970年代の工業化政策と外資誘致の起点
ペナンは、マレー半島北西部に位置する歴史ある港町であり、現在ではマレーシアのハイテク産業の中心地として知られている。1970年代に始まった工業化政策により、ペナンは「東洋のシリコンバレー」とも呼ばれるようになった。ジェトロ(JETRO、日本貿易振興機構)調査部アジア大洋州課リサーチ・マネージャーの山口あづ希氏が次のように語る。
「ペナンはかつて英国の自由貿易港だったのですが、1969年にその特権も失ってしまった。経済が停滞する中で、経済を立て直すために1972年にフリートレードゾーンを設けて、外資誘致に力を入れたのです」
ペナンのデジタル化の起点は、1971年、日本の日立製作所(現ルネサスエレクトロニクス)やクラリオンが進出したことにある。これを皮切りに、1972年には米国のインテルマレーシア、ヒューレット・パッカード(現アジレント・テクノロジー)やアドバンスト・マイクロ・デバイセズ(現AMD)、ナショナルセミコンダクター(現テキサスインスツルメント)が進出した。これに1923年から進出していたドイツのボッシュを含め、「サムライエイト」と呼んでいる。こうした外資系企業の進出が大きな呼び水となった。
「1980年代後半から90年代にかけて、プラザ合意による円高と外資出資比率規制の緩和によって、日本ではマレーシアの投資ブームが沸き起こり、多くの日本企業がペナンに進出しました」(山口氏)
その後も次々に外資系企業が電子部品や半導体、医療用機器の製造拠点として進出。この流れを受けて、地元企業も技術力を高め、近年ではスタートアップやデジタルコンテンツ企業が台頭している。
しかしペナンは独自の河川を持たず、生活・工業・農業用水の約80percent以上を隣接するケダ州のムダ川に依存している。都市化や急速な人口増加の中で水不足のリスクは高まっている。電力についてもその大半はマレー半島から調達しているが、送電網の老朽化などで電力の供給がひっ迫している。再生可能エネルギー導入とスマートグリッド整備を通じて電力不足への対応が求められている。
チョウ首席大臣のビジョン──包摂と持続可能性
水や電力不足をはじめ「都市インフラの老朽化」「社会的包摂の不足」「産業の高度化への対応」などの課題を抱えるペナンに大ナタを振るったのが、2018年に首席大臣に就任した民主行動党(DAP)のチョウ・コン・ヨウ氏である。チョウ氏は「持続可能な開発」「スマート州構想」「包摂的な経済成長」を柱とする政策を掲げ、州の制度的競争力と住民福祉の両立を目指した。さらに2020年から「デジタルペナン」という官民連携の推進機関を設立し、中小企業のデジタル化支援、スタートアップの育成、地域ICT教育(大学・NGOと連携)などを進めた。
チョウ首席大臣の政策に追い風が吹くのが2022年11月。DAPと連立(希望同盟)を組む人民正義党(PKR)出身のアンワル・イブラヒム氏がマレーシアの首相に就任した。
イブラヒム首相は2023年9月1日、製造業の高度化と経済の持続的成長を目指す国家戦略「新産業マスタープラン2030(NIMP 2030)」、2024年にはナショナルセミコンダクターストラテジー(国家半導体戦略、NSS)を発表した。
「こうした取り組みを受け、ペナンでも2024年9月には『ペナン・シリコン・デザイン@5km+』という投資優遇策が発表され、2025年7月には『ペナン・シリコン・リサーチ・アンド・インキュベーション・スペース』や『ペナン・チップ・デザイン・アカデミー』が設立され、半導体の前工程、特にICの設計人材の育成への取り組みが始まりました」(同)
「デジタルペナン」の目的も州内のデジタル化支援から、国家予算・NIMP関連補助金を活用し、国家目標(GDP比35%、雇用5万人)の地域実践の場として格上げされた。
シリコンアイランド構想とインフラ課題
ペナンが今、全力で取り組んでいるのがスマートシティ型の人工島を造成する「シリコンアイランド構想」だ。ペナン南部に2,300エーカーの人工島を造成し、半導体・医療機器・高度パッケージング・IC設計などの産業を集積。NSSと連動し、製造から設計・創造へと軸足を移す。これは、単なる土地造成ではなく、NSSやNIMP 2030と連動した制度・産業・都市の再設計を通じて、ペナンをASEAN屈指の創造産業・先端製造拠点へと転換することに大きな狙いがある。
再生可能エネルギー100%、炭素排出45percent削減、公共交通利用率70percentなどを目標とするグリーン・スマート都市、都市インフラ・住宅・教育・医療を統合した未来型都市モデルといった持続可能なスマートシティの実験場でもある。
2023年には環境評価の承認を受け・埋め立てを開始(20エーカー完了)。2026年の工事着工、2027年の一部稼働を目指す。この構想は、産業用地と住環境を統合し、IC設計・R&D拠点としての人材定着を狙うものだが、水資源の逼迫や土地制約、空港インフラの整備など、選択的誘致と補助金政策が成功の鍵を握る。
このような中でペナンの都市DXはどこまで進むのか、大阪万博会場でチョウ首席大臣に話を聞いた。
「グローバル企業が求めるインフラ、接続性、環境配慮を備えた立地を提供する」
―― 首席大臣として、ペナン州において何を成し遂げたいと考えていますか。
チョウ ペナンはマレーシアで2番目に小さな州ですが、戦略的な立地と早期の工業化により、今では経済の中心地と見なされています。製造業、特に電気電子産業と半導体産業が主力で、「東洋のシリコンバレー」とも呼ばれています。観光業とサービス業も重要です。課題は多くあります——産業用地、水、電力、人材、インフラ。これらを確保し、州が経済を牽引し続ける準備を整えることが私の使命です。
―― ペナン州の主要産業、特に半導体後工程や医療機器製造が直面する最も深刻な課題は何でしょうか。
チョウ 現在最も差し迫った課題は、地政学的な不確実性の高まりです。これは世界的なサプライチェーンと投資の流れに直接影響を与えています。半導体や医薬品は現行の19%関税(米国が一部の工業製品に対して課している最大関税率)の対象外ですが、追加関税の脅威が見られるなど、依然として不確実性が残っています。貿易政策の変化は投資家の信頼を損ない、新規投資の流入を鈍化させる可能性があります。こうした状況に対応するため、我々は市場の多様化、サプライチェーン・エコシステムの強化、現地能力の深化を通じて、産業のレジリエンス構築に注力しています。
―― 土地、インフラ、水資源、熟練労働力などの制約にはどのように対処されていますか。
チョウ 土地については、州有地・民有地を含め1,700エーカー以上の工業用地を確保しています。バトゥカワン工業団地(460エーカー)やペナン・テクノロジーパーク@ベルタム(880エーカー)などが段階的に整備されます。
インフラ面では、LRT(軽量軌道交通)ムティアラ線が2025年第4四半期に着工予定で、2031年開業を目指しています。ペナン国際空港の拡張も進行中で、2028年には旅客処理能力が倍増します。また、これにより直行便の増加が見込まれ、国際的な接続性が向上し、最終的には輸出能力の拡大にもつながる可能性があります。
水資源については、ペナン州水道供給公社(PBAPP、Penang Water Provide Company)が「水資源緊急対応計画2030」を推進中で、8プロジェクトを通じて最大水需要に対応します。人材面では、2024年9月に「ペナンSTEM(科学・技術・工学・数学)人材育成青写真」を発表し、学校・大学・産業界と連携して高度なSTEM人材の育成を進めています。
スマートシティを目指すシリコンアイランド構想
―― シリコンアイランドプロジェクトとはどのような事業ですか。
チョウ これはペナン州南岸沖に位置する埋め立て型スマートシティ構想で、2,300エーカー(約930ヘクタール)に及ぶ開発です。ハイテク産業、住宅、商業、レジャーエリア、緑地を統合した低炭素都市を目指し、グリーンテックパーク(ハイテク工業団地)やLRT、海上高架橋などを備えます。ESG原則に基づき、「グリーン・バイ・デザイン(環境に配慮した設計)」を掲げ、環境責任を開発のあらゆる側面に組み込んでいます。
―― このプロジェクトを進める決断に至った背景は。
チョウ ペナン島は土地制約が深刻で、既存の工業地帯は飽和状態です。新興産業の成長を支えるためには新たな工業用地が不可欠であり、埋め立てが最も現実的な選択肢でした。グローバル企業が求めるインフラ、接続性、環境配慮を備えた立地を提供することで、ペナンの競争力を維持します。
―― 環境への配慮についてはどうですか。
チョウ 持続可能性は当初から組み込まれています。環境対策を後回しにするのではなく、低炭素設計や再生可能エネルギーから持続可能な水・廃棄物管理、気候変動に強いモビリティシステムに至るまで、グリーンインフラを最初から統合しています。こうした取り組みが評価され、シリコンアイランドは2023年、マレーシア・グリーンテクノロジー・気候変動公社(MGTC)の「低炭素都市2030チャレンジ」において、設計カテゴリーで5ダイヤモンド評価を獲得しました。これは「現状維持」シナリオと比較してCO2の排出量を45.47percent削減する設計ポテンシャルが認められたものです。
―― 現在の建設進捗状況はいかがですか。
チョウ 2023年9月に埋め立て工事が開始され、現在までに約220エーカーが完成しています。海上高架橋や初期施設の建設も進行中で、2026年には最初の工場建設が始まり、2027年には稼働開始を予定しています。全体の埋め立て完了は2033年を目標としています。
海上高架橋は2027年から段階的に開通し、2029年1月までに全面開通予定です。2026年第1四半期までに、当面の重点課題として、ペナンLRTムティアラ線の開発事業者兼資産所有者であるマス・ラピッド・トランジット・コーポレーション(MRTC)へLRT車両基地用地を引き渡す予定です。
埋め立て工事全体は2033年までの完了を目標としており、第一期埋め立ては2030年までに完了する予定ですが、全体的な開発はその先まで継続されます。プロジェクト全体は計画通りに進捗しており、主要なマイルストーンは予定通り達成されています。
―― 推進にあたっての課題は。
チョウ 資金調達、持続可能性、コミュニティ連携、技術的課題、工程管理など多岐にわたります。特に漁業関係者との信頼構築や、気候変動への対応が重要です。我々はこれらを障害ではなく、慎重な対応が必要な領域と捉えています。
―― 完成後に期待される効果は。
チョウ 2050年までに22万件以上の雇用、747億リンギットの投資、1.1兆リンギットのGDP効果が見込まれています。グリーンテックパークを核に、ペナンの半導体分野の地位を強化し、スマートシティとしてのモデルを世界に示すことができるでしょう。
―― ペナンを今後どのような地域に発展させたいとお考えですか。
チョウ 「東洋のシリコンバレー」として、グリーンでスマートな都市、住みやすく持続可能な都市を目指しています。家族を重視した社会開発、バランスの取れた発展を実現し、IT人材育成都市として世界に貢献したい。任期の残り2年半で、可能な限りのことを成し遂げるつもりです。